SpotifyもApple Musicもやめちまえ!音楽というものの行き着く先
音楽という体験を人類は離すことができない。それは古代の壁画や歴史の書物からも見て取れるように、我々は娯楽の一つとして音楽もとい音を奏で聴くということをしてきた。
音楽の体験をライブで聴く体験は今もなお続いているが、技術の発展により、その場にいなくても聞くこと可能になってきた。それはあるときにラジオとなって、円盤になったり、データとして販売されてきた。
美しい音「音楽」を聞くことは、祭り事の演出から貴族の楽しみになり、市場の一つに形を変えてきた。その市場一つとっても、円盤が売れた枚数から聴かれた回数になっている。
今一度、音楽というものを慎重に聞いてほしい。掃いて捨てるほど増えた曲の中に音楽というジャンルが近年人々に単なるBGMへとなっている気がしてならない。
BGMとして世界に流れ続ける音楽
確かに現世界は神様もびっくりするくらい娯楽が増えすぎてしまった。ゲーム、本、漫画、小説、映画、スポーツ、レジャー施設… 音楽は姿形を変えながら、これらと非常に親和性が高い。ゲームであればBGMなんかがサントラになってるし、映画は言わずもがなシーンの印象に色をつける、小説や本も音楽をかけながら読む人もいなくないだろう。スポーツやレジャー施設でも大きなスピーカーから盛り上げるための音楽が流れている。
聞き流し、その場の雰囲気を形作っていく。非常に強力な力を持っている。
街中を歩いていてもそうだ、家電量販店、カフェ、ショッピングモール、レストラン、スーパーなんかをとってみても音楽が流れている。その場所で本来ある目的や会話のBGMとしてあなたの日常に音楽はあり続けている。
アニメやドラマの主題歌が流行れば、 カバーやアレンジMIXなどがそこら中で流れ「聞いたことある曲」になる。そして「聞いたことある人」が多い曲が流行りの曲として、紅白歌合戦への出場権やYoutubeの再生回数カウンターを跳ね上げていく。
音楽のライブ感を感じたことはありますか?
それは時に作る側、それ時に聞く側かもしれません。中学校の合唱コンクールでもいい、学祭の軽音楽部のライブでもいい、駅前のストリートライブでもいい、音楽特有のライブ感を感じたことはあるでしょうか?
そこにダンスやビデオなどの視覚的効果は不要で、ただただ聴覚と低音の振動を感じる触覚だけで十分なのです。音を浴びるような感覚が、作り手も聴き手も感じるはずです。
そこには音楽が古来、宗教的祭事に用いられたように人々に大切に扱われた意味がわかるような気がします。ライブ感というのは演者と聴者が1on1ではなく、聴者の一体感も含まれます。
あるアーティストは、ファンに歌ってもらうことを支持したり、手拍子をお願いするかもしれません。あるアーティストは自分の曲を聴き続けてもらうことに特化したライブにするかもしれません。ライブというものが開かれ、そこで歌った瞬間、彼/彼女らはアーティストとして最高の姿になるのです。
一度、好きになった曲のアーティストでもいい、聞き入った思い出の曲の演奏会でもいい、ライブに足を運んでみませんか?
映画にもスポーツにもミュージカルにも変えがたい体験が得られます。
サブスプリクションサービスは窮屈なサービス
CDが売れなくなったという時代に、電撃のような速さで利用ユーザーを伸ばすサブスプリクション型のサービス。
スマホや通信技術の発展という時代背景にあった非常に優秀なサービスです。検索をかけてその場で聴くことができる、誰かが作ったプレイリストをシェアして聴くことができる。
音楽という体験がより手軽に身近に感じられるようになったことで、音楽のBGM化が加速していると思います。あなたはどんな場面でApple MusicやSpotifyを使っていますか?作業中や移動時に聴くことが多いと思います。何を聴きますか? 好きな曲? 流行りの曲? ムードに合う曲を探して聞く?
サブスプリクションはアクセスして聞くまでの速度が非常に早いですし、新しい音楽に出会う場としても最適です。ですが、あなたにとって新しい曲を探すという作業になっている人はいませんか?
このサービスを切り口にしてライブやアルバムを購入してくれるとは私は思いません。好きなジャンルを好きなだけ聴いて音楽を使い捨てていく人がアルバムを買ったりライブに行くでしょうか?
※あくまで聴き方の一つにあるだけでユーザー全般は否定していません
それにサブスプリクションは一定のアーティストを除いて、聞くことができないアーティストが沢山います。個人的に懐メロに弱いのと、Spotifyだと邦楽全般が死んでいます。便利そうで便利でない、結局BGMとして使う方法が一番良いサービスです。オフラインの曲と合わせてプレイリストが作れる機能は結構便利ですけどね。
スピード感、次の曲、次の曲
最近の曲作りの傾向として、現代のスピード感のある社会に合わせて突然サビのように盛り上げる手法をとることがあるという。
確かに90年代や80年代の曲と比べると前奏が短かったり、突然盛り上がるサビを放り込んでいる。
代表的な曲をいくつか挙げた、これらの曲はいずれも大ヒット、始まってすぐに盛り上がるパートを用意している。
こういったスピード感というのが、ゆっくりと曲を聴くという時間を奪っているのかもしれない。代表的なアプリでいうと、Instagramやスマートニュースなんかもそうだろう。別にこれが悪だとも善だとも取らない、あくまで傾向があるということを知ってほしい。
同時に私が思うのが、人々は
曲調<リズム
歌詞のストーリー性<歌詞の響き
という傾向になっている気がする。それは非常に井上陽水的でもあるが、音楽をBGMとしている彼らにとってこの傾向は必然である。歌詞を文字に起こしてみると、その短文は美しくとも、全体の文章からは何のストーリー性もない曲がかなり多い(失礼)
その時、曲のリリックすらもリズムとして認知されている。いわゆるラップ状態だ、
だからどうした
音楽というものはこれからもBGM化していく。これからも場を盛り上げて人々の心をつないでいく。でも、たまにはじっくり音楽だけを浴びる時間を作ってみてください。
いつもと違う世界や景色が見えるはずです。